俳優の伊勢谷友介さんは、3歳ことに両親が離婚し、母子家庭で育ったという生い立ちがあります。
伊勢谷さんと幼い妹をその手一つで育て上げたのが、母・尤子(もとこ)さん。
伊勢谷友介さんは、自身のTwitterで度々母への感謝を綴っていました。
母子家庭っで育った伊勢谷友介さんの生い立ちや、母親との思い出、そして離婚した父とは一体どのような関係性だったのでしょうか?
そこでこちらの記事では「伊勢谷友介は母子家庭だった|母の教育方法や父との関係など生い立ちまとめ」についてご紹介していきます。
伊勢谷友介は母子家庭だった
伊勢谷友介さんの出身は東京都世田谷区。
しかし過去のインスタより、出生地となった場所は「東京都港区」であることが分かっています。
(詳しく後述)
そんな伊勢谷友介さんは、父が53歳9ヶ月・母が40歳の時に生まれた子供でした。
伊勢谷友介が母子家庭となった経緯
母・尤子さんと伊勢谷友介さん
しかし当時の伊勢谷友介さんが3歳のとき、両親が離婚。
結果母子家庭となり、母の尤子さんによって女手一つで育てられるように。
1978年には、母の出身地(札幌)の近くである北海道の函館市へ引っ越し、そこで母・妹・祖父母・叔母との6人家族での生活を始めました。
子供の頃、母と妹と、おじいちゃん、おばあちゃん、おばさんとの家族6人で食卓を囲み、遠くの空に打ち上がる花火を背伸びして見ていた頃を思い出します。届く破裂音は、だいぶ遅れて響きます。 pic.twitter.com/YUT4fMgx
— 伊勢谷友介 《座右の銘☞挫折禁止》 (@Iseya_Yusuke) August 18, 2012
伊勢谷友介の母親は教師だった
伊勢谷友介さんの母・尤子さんの職業は教師。
長男である伊勢谷友介さんを出産するまでの15年間、幼稚園から短大まで一貫教育の学校で教鞭をとられていました。
その後教師職を退職したあとは、福祉関連の仕事をされています。
15年間学校の教師をしていたということもあり、子育てにおいて一番重きを置いていたのが「教育」だったと語られています。
伊勢谷友介の母の教育方法とは?
2015年6月1日更新の「Conobie編集部によるインタビュー」では、伊勢谷友介さんの母・尤子さんへの取材内容が公開されていました。
幼少期の伊勢谷友介さんは、近所の人から「興味の人」と呼ばれるほど好奇心旺盛な少年でした。
・池に泳いでいる魚が目に入ればそのまま池へ入っていく
・干からびたミミズを持ち帰る
・ゴキブリホイホイの中のGを必死で眺める
などなど。
大体の親が「辞めなさい!」と止めそうなものですが、母の尤子さんは息子の行動に一切口を出さなかったと言います。
むしろ息子と一緒にミミズを興味深げに観察したり、Gを見つめる息子に虫眼鏡を差し出したり。
15年間教師をして来られた中で様々な子供を見てきたからこそ、自分の息子がどういった行動を見せるのか、その反応を見るのが面白かったと明かしています。
こうやって絵を描けるのも、母の熱心な教育のおかげです。
厳しくて、自由で、楽しめる環境を作ってくれた母に感謝です。
一人親で、お金はなくとも、学歴だけはと、昼夜仕事をしてくれました。本当に頑張ってくれたんです。
子供には親が最も大切。親の大人度が結果を作ると感じます。— 伊勢谷友介 《座右の銘☞挫折禁止》 (@Iseya_Yusuke) February 10, 2014
子供の興味関心に一切ブレーキをかけることなく、無限の可能性を見出してあげたんですね。
また、2018年6月3日投稿のインスタには、母から預かった母子手帳のエピソードも。
母と妹と夕食を共にした時、母が「私もいつどうなるかわからないから」と渡してきたMy母子健康手帳。
要らないよと、言ったのに、自分の生まれた時刻から、数日後、数ヶ月後の体重など、そのデータに意外な程、ワクワクしながら見れた。
産まれる前の、母の状態も少し解る。何よりも、世田谷区出身だと思っていたのは本籍地で、まさかの港区白金出身でした笑当時の白金は、どんなのだっただろうなぁ〜w
途中函館挟んで、目黒に戻りました。シロガネーゼになれなかったなぁw
引用:https://www.instagram.com/p/BjkGgovBEjg/
伊勢谷友介さんが40代を過ぎても尚、こうして母との何気ないやり取りがあるのは素敵なことですね。
伊勢谷友介さん、そして母・尤子さんが、お互いを尊重し合っているのがうかがい知れます。
伊勢谷友介の母と離婚した父との関係は?
また、伊勢谷友介さんの母と離婚した父は洋服の仕立て屋(テーラー)でした。
名前は山本一男さん。
顔は伊勢谷友介さんにそっくり。
かなりの色男ですね。
結婚歴は7回で、6回目に結婚した奥様が伊勢谷友介さんの母・尤子さん。
伊勢谷友介さんが当時2歳の時に函館へ移住し、その後離婚しているため、父親とはほとんど面識がないといいます。
しかし結婚回数は一般人のそれとは比になりません。
しかし離婚して母子家庭となった環境でも、母の尤子さんは愛情たっぷりで息子を育てあげたのが分かります。