上沼恵美子さんの旦那は、関西テレビでプロデューサーを務めていた上沼真平さんです。
現役時代は常務取締役にまで上り詰めた敏腕PDだったようですよ。
定年を迎えた現在は仕事も引退し、リタイア生活を送っています。
しかしそれが原因で離婚の危機にも陥っているようで…
そこでコチラの記事では、
・上沼恵美子の旦那の仕事は元関西テレビPD
・旦那との馴れ初めは仕事がきっかけ?
・引退後の旦那のリタイア生活は?
・旦那の引退がきっかけで別居→離婚の危機?
以上のテーマでご紹介していきます。
上沼恵美子の旦那の仕事は元関西テレビPD&社長だった
生年月日:1947年1月
出身:大阪府八尾市
出身校:関西学院大学
1977年5月22日に上沼恵美子さんと結婚した旦那・上沼真平さんは、大阪の関西学院大学を卒業後、1969年に新卒で関西テレビ局に入社。
その後39年間に渡って関西テレビの中核を担う存在として活躍し、2008年には局を退職しています。
入社当時に営業部→制作部と異動してからは、最終的に…
・関西テレビのテレビプロデューサー
・関西テレビのテレビディレクター
・関西テレビの常務取締役制作局長
・株式会社メディアプルポの代表取締役会長
などなど重要な役職に就き、関西テレビを何十年にも渡って支え続けて来ました。
上沼恵美子の旦那の仕事の経歴①関西テレビPD・DR
関西テレビ入社→AD経験たった1年
1969年に関西テレビに入社した上沼恵美子さんの旦那・真平さんは、はじめは営業部で京都方面を担当。
テレビ番組のスポンサーとなる企業や広告代理店へ営業をかけにいく仕事をしていました。
(「うちの番組でCMを流しませんか?」というものですね)
その後は営業部から制作部へ異動し、AD(アシスタントディレクター)として勤務。
本来ADの経験は3~4年は必要と言われている中、上沼真平さんはなんとたった1年でディレクターへ昇格しています。
夫真平は、関西テレビで売出し中の若手バリバリディレクター。
AD経験たったの1年で1本立ちのディレクターに抜擢されるや、ヒット番組を次々と生み出す関西テレビ期待の星だった。出典:上沼恵美子著『犬も食わない』
20代後半という若さでディレクターを任された上沼真平さん。
若手ながら早くも敏腕っぷりを発揮し、その後も多くの人気番組のプロデュースを担当しています。
・日曜ドキドキパンチ
・エンドレスナイト(プロデュース)- 杉山が進行役を務めた番組で、上沼自身も「セクシー上沼」という肩書で登場。
・爆笑寄席 (演出)
・ナイトパンチ(演出)
・誰がカバやねんロックンロールショー (制作)
・土曜大好き!830(プロデュース)
中でも坂東英二さんを司会に起用した『土曜大好き!830』では、テレビ業界初となる試みに何度もチャレンジする姿勢が大きな反響を呼びました。
プロデューサーとしての実績
関西テレビ系列のモーニングショー『土曜大好き!830』では、海外取材の企画を頻繁に実施。
司会の坂東英二さんと桑原征平さん(当時アナウンサー)の2人を中心に、社会や国際問題をワイドショーと絡めて制作することを得意としていました。
1988年には、坂東英二さんをロンドンへ向かわせた上沼真平さん。
ロンドン
なんと「アポなし・予算なし・(現地での)知名度なし」という悪条件のもと、ロンドンのダイアナ妃と握手させることに成功しています。
これが大きな反響を呼んだ結果、上沼真平さんは次にデンマーク王女へのインタビューも計画。
行動力がすごいですよね。
そこでは「日本で一番高貴な女優」というイメージのある三田佳子さんを現地のパレードに向かわせ、結果デンマーク王女へ直々に花束を渡すことに成功したとのこと!
デンマーク
(デンマーク王女との謁見は当時は不可能と言われていました)
一歩間違えれば国際問題にもなりかねない企画をやってのける上沼真平さん、度胸がすごまじいですね…。
更に1990年には、
北方領土が日本の領土とされているのに、日本人が簡単に行けないのはおかしくないか?
という素朴な疑問から択捉島へ渡ったり。
上沼真平さんの意向で「アフガニスタンなどの紛争地域」へ司会の桑原さんを単独取材に向かわせたり。
その抜群な行動力と企画力から、関西テレビのスターとしてどんどん出世コースへと辿っていったようです。
上沼恵美子の旦那の仕事の経歴②2人の馴れ初め〜テレビ局引退まで
自身の担当番組で上沼恵美子と出会う
その後プロデューサー/ディレクターとしてバリバリ仕事を続けてきた上沼真平さん。
1975年に製作した担当番組『日曜ドキドキパンチ』で、当時漫才コンビ「海原千里・万里」として活躍していた上沼恵美子さんと出会いました。
右側のロングスカートを履いてるのが上沼恵美子
当時の上沼恵美子さんが抱えていたテレビ・ラジオのレギュラーの仕事は、週13本!
1976年にリリースされた海原千里・万里のシングル曲「大阪ラプソディー」は大ヒットし、「お笑い界の白雪姫」などとも呼ばれる超売れっ子タレントだったのです。
そんな上沼恵美子さんとテレビ局プロデューサー・上沼真平さんがお互いに惹かれあい、のちに交際がスタート。
人気タレント&テレビスタッフという禁断の恋でしたが、およそ2年の交際の末に2人は結婚。
その後上沼恵美子さんは旦那・真平さんから「専業主婦になって欲しい」という希望を聞き入れ、芸能界を引退し一時は主婦業に専念しています。
しかし上沼恵美子さんが専業主婦に耐えかねて、1978年7月に芸能界へ復帰。
その後は夫婦2人で再びテレビ業界の最前線で働くようになりました。
常務取締役・関連会社の会長に就任→引退
一方で上沼真平さん自身は、プロデューサーやディレクターの枠を超えて多方面で活躍するように。
R-1などのお笑い番組の審査員も担っていました。
・2002年 第1回 R-1ぐらんぷり 審査員
・2003年 第2回 R-1ぐらんぷり 審査員
・2003年 第1回 M-1甲子園審査委員長
最終的には、
・番組制作会社「メディアプルポ」代表取締役会長
というトップの役職にまで就任!
しかし61歳となった2008年1月にはメディアプルポの会長職から退き、関西テレビを定年退職。
その後はフリーで働くことはせずに、上沼恵美子さんと共に大阪箕面市の自宅でリタイア生活を送っていたのも束の間…
突然の旦那の現役引退に、上沼恵美子さんのストレスが頂点に達する出来事が起こりました。
上沼恵美子の旦那は現在仕事を引退→リタイア生活で離婚の危機?
仕事を引退後は趣味に没頭する生活に
2008年で仕事を引退してから現在に至るまで、およそ10年以上リタイア生活を満喫している上沼恵美子さんの旦那・真平さん。
もともと多趣味で好奇心旺盛だった上沼真平さんは、いろいろなものに手をつけ始めます。
・ゴルフ
・ウクレレ
・家庭菜園
・俳句(俳号は真葉郎)
・キックボクシング
・スペイン語
・能面
・バタフライ
・絵画
…などなど。
しかし次々と新しい趣味を楽しむ一方で、家での家事は一切やらなかったのだと言います。
上沼恵美子さんが風邪を引いても素知らぬ態度…。
⬇︎2018.07.25『女性セブン』
恵美子さんが風邪をひいた時、『熱があるみたいやから、早めに寝る』と言ったら真平さんは『そしたら晩ご飯はどないなる?』と返したほど。
そんな毎日に、恵美子さんは『夫婦の生活がストレスや』とボヤくようになりました」(前出・上沼の知人)出典:https://www.news-postseven.com
上沼真平さんはもともと「俺が引退したら一緒に仕事を辞めて海外旅行に行こう」と誘っていたそうです。
また現役時代にバリバリに働いていただけに、リタイア後は思いっきり趣味に熱中したいと考えていたのでしょう。
旦那に嫌気がさし別居を決意
そんな状況に嫌気がさした上沼恵美子さんが別居を決意したのは、2018年6月に起こった大阪北部での大地震でした。
自宅があった大阪箕面市は被災地域。
しかし震災のあった当時ハワイや和歌山などの別荘へ旅行に行っていた真平さんは、何日経っても帰ってこなかったのだと言います。
それがきっかけで怒りが頂点に達した上沼恵美子さんは、完全別居を決意。
家を出た上沼真平さんは、現在妻名義のマンションでひとり暮らしている様子。
2018年、記者が離婚について上沼恵美子さんへ尋ねた際には、次のように語っていました。
「ないと思います。するほうが邪魔くさいわ。ハハハ…」
出典:https://www.news-postseven.com
そんな状況でありながらも、周囲には次のように語っているようです。
ただ、惚れた弱みというのか、誰かが“恵美子さんの稼いだお金で遊び三昧の今はさすがにヒドい!”と旦那さんの悪口を言うと、どことなくかばうんですよ。
それだけに見ていられなくて…出典:https://www.news-postseven.com
現在は完全別居状態で夫婦生活を送っている上沼恵美子さんと真平さん。
ご紹介のとおり現役時代はテレビ局の最前線で働いてきた旦那なので、引退後はゆっくりしたいと思う気持ちは分かります。
ただ結婚当時からずっと家庭を守ってきた上沼恵美子さん。
だからこそ自身が仕事を辞めた後ぐらい、少しでも家事をしようと歩み寄っていれば、違う未来があったのかなぁと考えてしまいますね…
以上「上沼恵美子の旦那の仕事は元関西テレビPD&会長!現在はリタイア→離婚の危機?」についてご紹介いたしました。