2020年M-1グランプリで見事トップの座に輝いたマヂカルラブリー・野田クリスタルさん。
実は2005年まで放送されていた人気番組『学校へ行こう!』に出演し、優勝したコンビの1人だったのです!
当時は一体どんな芸を見せてくれたのでしょうか?
そこでコチラの記事では、
・野田クリスタルが学校へ行こうで優勝したネタ内容は?
・学校へ行こうで見せた坊主ヤンキー画像は?
・優勝後のエピソードとは?
以上のテーマでご紹介していきます!
野田クリスタルは『学校へ行こう』で優勝していた!坊主ヤンキー画像も
2020年のM-1で優勝してから、一気に大ブレイクを果たしたマヂカルラブリー・野田クリスタルさん!
M-1以前にR-1ぐらんぷりでもチャンピオンとなる素晴らしい経歴を持つ野田さんですが、実はもっと若い頃からすでに”ある企画”でトップになっていたことが!
それが、1997年〜2005年まで放送されていたバラエティ番組『学校へ行こう!』での『お笑いインターハイ』というコーナーだったのです。
お笑いに自信のある学生達が、それぞれ優勝を目指してネタを披露し合うという企画。
野田クリスタルさんは、そこに同級生の相方と結成した『セールスコント』というコンビで参加しました。
結果、15歳で現役高校生という若さで見事優勝!
当時は今と違って「坊主頭のヤンキー風の少年」だったため、
野田クリスタルって『学校へ行こう!』の坊主の子か〜!
野田クリスタル『学校へ行こう』ネタ動画はコレ!
『学校へ行こう』のネタ動画
野田クリスタルさんが『学校へ行こう!』で見せたネタですが、残念ながらフルの動画は残っていませんでした。
しかし過去放送の『アメトーーク』にて、当時優勝したネタが一部公開されています。
それがコチラ⬇︎
これ見てた!!!!知ってる!!!
懐かしい~#学校へ行こう#お笑いインターハイ#マジカル野田 pic.twitter.com/TGX6IpQn7Y— R… (@renapiaaaace) August 14, 2017
「逆立ち」というコントで、
坊主頭の野田クリスタルさんが逆立ち
→相方がそれを支えるはずが…
→あえて避けて野田さん転倒
→野田さんがブチギレ
という内容となっています。
坊主頭ヤンキー風な顔での「いってーなコラ!」は迫力満点。
動画を見ても分かる通り、野田クリスタルさんは15歳の頃から既に激しいアクション系の芸を積極的に取り入れていたようです。
ちなみに、M-1で優勝した「フレンチ」や「電車のつり革」ネタでも漫画のように激しい動きを見せていました。
野田クリスタルさんのお笑いの考えは、15歳の頃からブレずにここまで来たんですね…!
『学校へ行こう』のファンから絶賛の声
当時の『学校へ行こう!』を覚えていたファン曰く、
とのこと!
昨日M-1を制したマヂカルラブリーの野田クリスタルさん、実は20年近く前に「学校へ行こう!」の「お笑いインターハイ」という学生限定お笑いコンテストで優勝してるんですよね🤣
何かお笑い界のトップを夢見た少年が、大人になって夢を叶えるって、SASUKE感があって胸熱感が増してきました🤩 pic.twitter.com/nHei4ejb8x
— 田楽MAN@政治とSASUKE (@dengakumaaaaan) December 21, 2020
#ノンストップ
学生時代の野田クリスタルが『学校へ行こう‼︎』でやってたピッチャーとキャッチャーのネタいまだに覚えてるもん。
あのコーナーで唯一おもしろかったのがあの坊主ヤンキーの野田だった。— ふくらはぎ (@omonaga_flowG) December 21, 2020
え?!?!野田クリスタルって学校へ行こう!のクソ面白かった学生コンビの坊主の方だったの?!?!面白すぎて未だに覚えてるんだけど
— プレミアムねむねむ (@LGmDbsNHYRIWRUB) December 20, 2020
『学校へ行こう』のヤンキー高校生の漫才、『R-1』で見せたゲームの実況キャラ、そして、『M-1』で見せたしゃべくりとは違う自由無尽に動くキャラ、全部違っていて、だけど、同じ人なんだよな。何者なんだ、野田クリスタルさんって。
— マッキーマイカ【2代目桂小南生誕100周年】 (@Mackey1683) December 20, 2020
15歳で優勝して、大人になってから再びお笑い界の頂点に立った野田クリスタルさん。
人生の半分をお笑いに費やしてきたと言っても過言ではありませんね。
野田クリスタル『学校へ行こう』優勝後の裏話とは?
高校1年生のときに参加した『学校へ行こう!』にて、初めて「お笑い界での優勝」という経験を得た野田クリスタルさん。
だからか、そこから急速に「尖り始めた」のだとか。
2017年8月10日放送の『アメトーーク』に出演した際に、当時の心境について語っていました。
学生時代は明るくクラスの人気者でしたが、「優勝した後はお笑いの仕事が入って来て忙しい風を出したかった」という野田クリスタルさん。
そのためわざと早退を繰り返したり、学校で面白いことをあえて言わなかったり、というように、徐々に天狗になっていったようです。
しかし実際には仕事はひとつも舞い込んでこなかったようで、早退後は1日中ゲームに没頭する日々を送っていたのだとか…
結果野田クリスタルさんはゲーム廃人になっていく、という裏話がありました。
しかしその結果、今となってはプログラミングを駆使して「野田ゲー」と呼ばれる自作ゲームを作成するという、到底他には真似できないようなスキルも得ています。
あの時尖っていたからこそ、「ゲーム」というお笑い以外の才能も見出せたのでしょう。
そう思うと、『学校へ行こう!』で優勝していなければ…今頃ゲーム開発者・野田という顔は生まれていなかったのかも。